メガソーラー。本当に再生可能?地域に何を残したい?

TOMO-TAKA

メガソーラー

日本各地でメガソーラーと呼ばれる大型太陽光発電所がつくられている。

東日本大震災をきっかけとして、風力発電とともに再生可能エネルギーとして注目を集め、さらに電力会社の電力買取が行われ拍車がかかっている。

現在、林地・農地を管理している方は高齢者が多く耕作放棄地や手入れできない林地が増加しており、太陽光発電として売ってしまった方が良いと判断する地権者が多く

また、通常は林地や農地を他の目的に使うこと(転用)することは困難だが、太陽光発電のプラスイメージのためか家を建てるなど、他の目的に使用するよりも容易に太陽光発電に変えられる。

そんな現状より日本各地に太陽光発電所、メガソーラーが多くつくられるようになった。

福島県の中通りは雪も少なく、なだらかな傾斜の多い地域のためか、東北の中でも特に太陽光パネルを見ることが多いように感じる。

訴え。

太陽光発電は確かに再生可能エネルギーでエコだと思う。それは否定しない。

しかし、過ぎたるは猶及ばざるが如し。

むしろ、この場合は及ばないよりひどいのではないだろうか。

山一つ分の森林を切り払い、山を削って、大量のパネルを並べる太陽光発電所は果たして再生可能なのだろうか。

太陽光発電所、特にメガソーラーには長い年月をかけて作られてきた地域の景観や地形、自然、人の営みを再生できないレベルで破壊している現状がある。

太陽光パネルの寿命はたかだか20-30年。現在こそ、なんとか元を取れる太陽光エネルギーだが20,30年後はどうだろうか。

20,30年後のことを考えて設置しているのだろうか。撤去するのにも莫大な費用が掛かる。

https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00442688/0/3366

https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/taiyoukouhaiki.html

廃棄の問題だけではない。作るうえで使われる原材料は再生可能なのか。

原産地(海外)の環境を壊して、「環境を守るためだ」と言いながら日本の環境を壊して太陽光パネルを設置しているなんてことは…ないだろうか。

そんな20,30年後の話をそのころ生きていないことの方が可能性が高い世代だけで決めてしまっている。。

エネルギーは多様的であるべき。一つの資源に偏らないで使うことが再生可能につながる。太陽光も水力も風力も地熱も波力も火力も使う。(原子力に関してはまだまだ議論が必要)

太陽光発電も使うべきところにつかって、わざわざ自然環境を破壊してまでするものではない。

すぐにメガソーラーのようにやりすぎてしまうのは、この社会の悪いところだと思う。

大人の都合?そんなの知らない。

林地や農地を管理できないから売って太陽光にした方が良い?

お金がかかるとややこしい?

そんな大人の都合は知らない。

大事なのはそんなことじゃない。

令和に生まれた子供たちにとって自然の中で育つよりメガソーラーに囲まれた地域で育ったほうがいいだろうか?

僕も中学生のときに小さいころに遊んでた森が切り払われ、何もできない悔しさから自然が好きなものから守りたいものに変わった。

10年経っても同じ繰り返し。また、僕のような悔しさを子供たちにに味合わせるの?

10年20年30年先に残したい地域の姿はメガソーラーの眺めなのか?

地方の人に「地域の魅力は?」と聞くと「自然」と返ってくることが多い。それすら奪うのか?

地域の子供たちにメガソーラーを誇れるのだろうか。

メガソーラーを地域の魅力として若者は認識できるだろうか。また、地元に戻って来たいと思うだろうか?

田園回帰の流れのある現代の都会人にメガソーラーは魅力的に映るだろうか?移住したいと思うだろうか?

20,30年後に自然を残しておくことと太陽光発電所を残しておくこと。どちらが価値あるものだろうか。

そんなこと高度経済成長期の開発の時に学んだはずなのに…また繰り返すのか。。

大事なのは大人の都合じゃない。

大事なのは、これからを生きる世代の都合。

また味わった無力感

また、、まだ、、何もできなかった。。守れなかった。。

子どもたちに、次の世代に残すべきものを残してくれない大人たち世代にとても腹立たしく思う。

それと同時に、一人の大人として、、次世代に大事なものを残していく責務を負った大人として、何もできなかったことが悔しく思う。

僕にできること

今あるメガソーラーを撤去させること、今ある計画をなくすことはなかなか難しい。。

だから、残された自然をできるだけ守りたい。

住民にその魅力を認識してほしい。

以前、出張型自然観察会を企画したことがある(頓挫してしまったが)

その時にこんなことを書いている。

守りたい自然って白神とか奥入瀬とか珍しい自然はもちろんだけど
そうじゃなくて裏山とか裏庭とかもっと身近な自然も守りたい。
けど前者は比較的行政が守ってくれるけど後者は開発対象になるのが常。
どんどん失われていく。
そんな自然を守れるのは地元の人だけ。
けど地元の人は地元の自然は当たり前すぎてその価値には気付きにくい。
通常の自然観察会はその主催する人の持つフィールドで人を招いてやるけれども
この出張型自然散策会では依頼のあった場所へ出向き自然散策会を行う。
地元の自然が破壊されるとなった時に地元の人が声をあげられるようにすることを目的とする。
また農山村の地域おこしなどで地元の長所として「自然が豊か」というワードは毎回どんな農山村でも挙がるワードだけれども
実際その価値を分かっている人はほとんどいない。
この散策会を通して他のどこでもないこの地域の自然を知り、地域おこしに繋げられたらなお良い。

これをこの矢吹の地で行っていきたいと思う。

僕が中学生の頃の悔しさを今の子供たちに味合わせたくない。

自然の中で遊べる。そんな空間を次の世代にも残していきたいと思う。

「おかしい」と思いつつ、「これが社会だから」と次の世代に引き継がせない。「おかしい」のならそんな社会を変えるのが大人の役目であり責任。

それを放棄しない。

そんな大人でありたい。

企画書一本書こう。

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