自己表現としての自然案内
歌手が唄で伝えるように 詩人が詩で伝えるように 画家が絵で伝えるように
僕は自分の考えや思いを自然を通して伝える。
僕がやるから意味のある。
アーティスト、表現者としての自然案内をしています。
これまでの活動
きっかけはただひとりの友達に自然案内したことから。
僕も楽しいし、喜んでももらえる。
「ああ、これだ」って思った。
そこから始めた『自然散策会』
気づけば17回も開催し、参加者は延べ100人を超えていた。
伝えたいことは、その時々で変化して
伝わらないもどかしさや、伝わった時の喜びを繰り返して
回を重ねるごとに姿を変えていく散策会は僕そのもの。
迷いや悩みもまるごと自然にのせる。
伝えたいこと
「花や虫と目が合う瞬間を」
「参加者の人生に寄り添う自然案内を」
「自然を通して自分の想いを」
その時々で伝えたいことは違うけれども、次のことは大切にしている。
生きる力を提供したい
生きにくい世の中だと思う。
何もなくてもため息ついて、うつむいて
ふとした拍子に死にたくなったり。
幸せな時間なんて一瞬で終わって、すぐにため息交じりの日常へ。
そんな日常にほんの少しでも彩りを、植物や虫たちにと目が合う瞬間を。
常に僕がそこにいることはできないから、幸せにすることなんてできないから
自然にそれを委ねる。
自然を通して、ため息ついてうつむいて死にたくなったその瞬間に届くように。
僕もたくさん、借りてきたから、返していきたい。
生きる力を借りたから 生きているうちに返さなきゃ
花の名/BUMP OF CHICKEN
参加者の人生に寄り添える自然案内を。
変わってしまうであろう想いや考えだから今伝えたい。
今の想いや考えなんて変わってしまうと思う。
今どんなに強く想っていても、10年たてば「あの頃は若かったなー」とか「考え甘かったなー」なんて。
けれども、どんなにこれからの僕が変わって、今の僕の想いや考えを「間違っていた」としても
きっと間違いなんかじゃなくて、正しいことなんだと思う。
少なくとも今こうして想っていることはリアルなことで、
そんないつか自分にすら否定されちゃいうかも気持ちたちは今ちゃんと表現してあげなきゃどこにも行けずかわいそうだと思う。
正しいと思っている今だからこそ表現したい。
もしかした、それが誰かの生きる力になるかもしれないから。
参加者の声
参加者より
大学生活の中で、気づいたら身近だったはずの自然から遠ざかってた、そんなときに参加する機会をもらいました。
草むらに寝っ転がったり木に寄りかかたり。音を聴いて、風を感じて、深呼吸して。
いつも見ないような葉っぱの裏側を見てワクワクしたり、アスファルトの割れ目に細い根っこを張って踏ん張ってる花に驚いたり…
TOMO-TAKAくんはまさに、自然の通訳者。
今まで何気なく見ていた草木がなんだか面白く見えてきます。
景色が少し、違って見えてきます。
自然の観察会ではなく、あくまで散策会という言葉がしっくりくる。
自由で、素直になれて、気楽にいられる。そんな時間を過ごせました。
活動の様子
- 募集【こかげの学校】ともたか自然教室〜昆虫を捕まえて調べよう!〜
- 自然散策会in仙台『人と木(ヒトトキ)』
- 自然散策会in岩大『人と木(ヒトトキ)』
- 名前は本当に大切なのか。名前がなくても僕らは仲良くなれる。けど、
- 第1回自然観察会in矢吹
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