自信がない作品を出すことへの葛藤。自信がなくても出していくことの大切さ。

TOMO-TAKA

葛藤

日々ブログを更新していますが、書きたいように書けなくていつも苦しんでいます。

何度も何度も書いては消して、書いては消しての繰り返し。

下書き保存が積み重なっていく。

言葉も文字も自己表現でアートの一つだと思います。

ミュージシャンの「ぼくのりりっくのぼうよみ」はTwitterでこんなことを言っています。

SNSでハンパに負の感情を無駄遣いしている人を見るともったいないなーと思う

せっかく嫌な思いしちゃったんだったら形にしちゃえばいいのにな

ぼくのりりっくのぼうよみTwitterより

世の中に出す以上納得したものを出していきたくて必死になります。

けれども一度たりとも納得するものなんて書けやしない。

こんなのを載せていいのかって葛藤です。

自分らしい表現の鍛錬

ネットにあふれている伝わりやす文章の書き方とか読んだりして勉強。実践してみる。

けれども、どんどん自分らしさから遠ざかっていくような気がして嫌になるを繰り返してしまっています。

きっと自分らしい表現の鍛錬って最終的には積み重ねではなく削り取りなのかなって。

ピカソもそう。

「ゲルニカ」のように一見誰でも描けそうな絵ですが、彼のスケッチ技術などはトップクラスだったことは有名な話です。

あそこまでの技術を身に着けて、そこから削って削って初めて自分らしい絵を描けるようになった。

そんな感じなのかな、と。

とは言え、自分らしくないものを書き続けるのもやっぱり嫌で葛藤。

自信がなくても出し続けること

まだまだ、葛藤のさなかにいますが、やはり下手でも拙くても出し続けたいな、と今は思っています。

「自信がついてから始めるならいつまでたっても始められない」

と思います。

自信がなくてもいい。悩みも迷いもぶつける。

「インスタ映え」なんてものが流行って「撮って出し」を控える風潮があります。

完璧な良いものしか世の中に出したくない、という社会になりつつあるように思います。

悪いことではないですが、未完成のままでもいいじゃないかなと。

その過程を載せていくのがポートフォリオ。

恥ずかしがらないで載せていこう。

尊敬する林野庁で働きながら、林野庁が発行する情報誌『林野-RINYA-』などで素敵な絵を描いている平田美沙子さんは次のように話していました。

平田さんは森林官としての本業を全うしながら、ずっとやりたかった絵を描くことでもコツコツと実績を積み重ね続けた。その後、2人の子どもを出産。育児休暇を経て林野本庁の広報班に復帰することになる。
広報でも、平田さんは機会があれば恥ずかしがらずに自ら手を挙げ続けた。その結果、林野庁情報誌『林野-RINYA-』でまずお試しに鳥のイラストを描かせてもらえることになった。…
平田さんは画力も漫画家並みだし、行動力も漫画家のようだ。出版社に「持ちこみ」を繰り返す漫画家のタマゴのように、つねに自分が描いた挿絵や漫画を持ち歩いて人に知ってもらう努力を重ねてきたのだ。
「あるとき、絵を見せたら、『あなたはどのようなお仕事をしているんですか?』と聞かれることがありました。『公務員です』と答えたら、『えっ? 公務員って堅いイメージだったけど、こういうことをやっている人もいるんですね』と驚かれ、そうした会話がきっかけで仲良くなってくださる方もいらっしゃいました」
かつてカナダの伝説的なアイスホッケー選手、ウェイン・グレツキーは言った。
「You miss 100% of the shots you don’t take. (打たないシュートは100%外れる)」
打たないかぎりシュートは入らない。勇気を出してシュートを打ってみれば、思いも寄らなかった反応が得られるものである。

https://toyokeizai.net/articles/-/146410

どこに何が生きるかわからない。

拙い言葉も誰かの心を救うかもしれない。

完璧でなくていい。未完成でもいい。自信なくてもいい。

完璧でインスタ映えで「いいね」と評価されるものだけが自己表現じゃない。

それがその時の自分の精一杯なら、それでいい。

出していきたい。

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