「すごい人」と聞いて、みなさんは誰を思い浮かべますか?どのような人を思い浮かべますか?
評価したり、褒めたりするときに多用される「すごい」という言葉ですが
僕はいつからか
「すごい」と言われるのも、言うのにも違和感を覚えるようになりました。
学生の頃は、僕もすごくなりたいと思い
周りのすごい人をみて嫉妬したり、自信を無くしたりしてきました。
「嫉妬集」なんてものを書くくらい笑
そんな嫉妬してばかりだった大学生活から、社会人になって2年目が終わろうとしていますが
ようやく、人に嫉妬することがなくなりました。
いったい、「すごい」って何なのでしょうか。
最近、もやもやしていてTwitterでつぶやきまくっているので
整理しながらもやもやツイートを回収していけたらと思い、この記事を書くことにしました。
教育における「すごい人」育て
以前、次のような記事を書きました。
#42 「教育」@BKS | TOMO-TAKA (anima1trai1tomo-taka.com)
僕にしてはかなりの長文の大作です笑
ぜひ、読んでいただきたいのですが、忙しい方もいらっしゃると思うのざっくり要約します。
鴨頭さんはマズローの『五段階欲求』を引用しながら、世代によって働くことへの価値観が変化を、「食べるため」から「お金や安定のため」、「存在証明のため」、そして、これからの世代は「自己実現のため」になると説明している。また、『クリエイティブ・ラーニング』という本では価値観の変化を「Consumption(消費)」→「Communication(コミュニケーション)」→「Creative(創造)」と説明している。いずれにしても、これからの社会は「自己実現」や「クリエイティブ」を求められる社会であり、『安部裕也』さんは、このような社会を「好きを仕事にしないと豊かになれない世界」とし「主体的に動く人だけが豊かになれるという、残酷な世界だ。」と述べている。
これらを受けて、個人的にはそのような社会であっていいのか?と疑問に思っており、理想とする社会は「階層的な幸せ」ではなく「それぞれが多様な幸せの価値観を知ったうえで自身の幸せの価値観を持ち、それを信じ、求めることができる。そして、それを押し付けることなく他者の幸せの価値観を認め、尊重できる。」社会だと考えていて、そんな社会にしていきたいと思う。続く)
#42 「教育」@BKS | TOMO-TAKA (anima1trai1tomo-taka.com)
という内容の記事です。
もし興味をもってくださった方がいらっしゃいましたら、一読していただけたらと思います。
「すごい人」と聞いて誰を思い浮かべますか?どのような人を思い浮かべますか?
と、最初に問いかけましたが、いかがでしょうか。
時代の価値観の変化の流れや受けてきた教育を受けて
「社会的に活躍している人」や「やりたいことをやっている人」など
自己実現をしている人やクリエイティブな人を挙げる方も少なくないのではないでしょうか?
では、そうでない人は「すごくない」のでしょうか?
あなた自身は「すごくない」のでしょうか?
探究
学校現場で新たな「学習指導要領」への移行に向けて進む中で、特に注目されているワードが『探究』です。
以下の記事がわかりやすいですね。
高校の新しい探究学習科目「総合的な探究の時間」の学習指導要領の内容とは? – 一般社団法人 英語4技能・探究学習推進協会 (ESIBLA)
個人的には先にあげた「教育とは」の記事にも書いたように「総合的な探究」は遊びの中で培われるもので、学校教育という半強制的な中で行われるものではないと思っていて、遊びの時間・機会・場所をもっとつくってあげるほうがいいのではと考えていますが。。最近は教科(特に美術・音楽)から評価をなくしたら探究が生まれるのでは。。と思っています。
そして、それをサポートするように
様々な外部団体も動き出しています。
全国高校生マイプロジェクトアワード|マイプロジェクト (myprojects.jp)
マイプロジェクトとは、身の回りの課題や関心をテーマにプロジェクトを立ち上げ、実行することを通して学ぶ、実践型探究学習プログラムです。
Foraの探究支援パッケージでは、
自分なりの問いを持ち、自分で答えを出し、
これからの人生で学び続ける生徒を育てたい。
そう願う学校を支援致します。
などなど。
評価される探究
学校教育に「探究」が組み込まれ
「自己実現」「クリエイティブ」を求める社会へより一層進みそうな気がします。
社会の価値観の変化に合わせて教育を創っていくことはとてもいいことで、必要な取り組みだと思っています。
しかし、探究が評価されてしまう仕組みに関しては危惧をしています。
今気づきましたが、誤字ってる…
先日、マイプロsummitに参加してきましたが審査のない発表とフィードバックの場でとても心地よかったです。けれど、僕自身も含めて「あそこはすごい」「あそこはいまいち」と潜在的に評価してしまっている気がしました。
これまでの時代、学力がステータスになっていました。そのため学歴フィルターなんてものが当たり前でしたが、それはこれからの時代に見合わないとされ見直されてきました。
そして、これからの時代は探究や社会貢献がステータスになってきそうです。探究フィルターなんてものが出てきそうです。
すごさなんて、どうでもいい
僕も地域おこし協力隊として「self space しおりば」を創り運営したり、地域で様々な活動しています。
たまに
「すごいですね」
と評価されることがありますが
その言葉はうれしくはありますが、もやっとします。
「すごい」と他者や社会的に認められる
そんなことのためにこの場所を創ったわけではありませんし、活動しているわけでもありません。
(ちょっとはあります笑)
届けたい人がいて、届けたい想いや価値があるから、創りました。
それだけなんです。
やったこと、していることの「大きさ」や「すごさ」なんてどうでもいいんです。
並べてみたら同じ
僕がやっていることも、探究活動で高校生たちが挑戦していることも
それぞれに別の届けたい人がいて別の届けたい想いや価値があって比較できるものではないし
比較できたとしても並べたら同じだけの価値がきっとそれぞれの届いた人にはあると思います。
誰かの基準、社会的な基準で
良い評価を受けても、落選したとしても
賞を取った人やその人のプロジェクトが優れていて、そうでなかったら優れていないというわけではありません。
やったことの事実やその価値、そこでの気づきや考えは何もまったく変わりません。
やったことによって届いた人、届いた価値があれば、それで以上はないし
届いてなければ、それに対しての反省や気づきが全てです。
価値基準、評価基準は自分を図るための物差し
もちろん、自己肯定感として「すごい」と思うのは大切だと思います。
子どもが
「ねえ見て!!すごいでしょ!!」
って目を輝かせながら手のひら一杯のどんぐり抱えて宝物を自慢するように話す感覚を大人になっても大切にしてほしいと思っています笑
ただ、そのどんぐりは見せられた人にとってはただのどんぐりかもしれません。
いいんです。
すごいかすごくないかは自分の中だけでいいんです。
価値基準、評価軸は誰かの物差しではなく自分を測るための物差しだと思います。
手のひら一杯のどんぐりをぜひ大切にしてください。
また、手のひら一杯のどんぐりが「すごい」なら
ぜひ、別の人が持ってきた大きな松ぼっくりも「すごい」って思えるようになってほしいでなと思います。
また、時にはその手に持っているどんぐりが「すごく」みえなくなる時もあるかもしれません。
その時に、別の人が持ってきた松ぼっくりと比較して落ち込まなくてもいいです。
松ぼっくりも、本当は大したことなかったりします。
すごくなくていい
「すごくあること」が社会的に求められてしまう時代です。
しかし、「探究」やあなたの「人生」はすごくある必要は全くありません。
クリエイティブが良しとされる時代だけど、パソコンのルーティンワークが一番好きな人は?
コミュニケーション、人らしさが重要視される時代だけど、
一人が好きな人や盛り上がるのが苦手な人は?
グローバル化の時代、
自分は加わらなくて十分と思ってる人は?あることを良いことと重要視するあまり、それによって負担を受けてる人って結構いるんじゃないかなと思っていて、、以下略
上記の言葉は「教育」の記事を読んでくれた方の感想の抜粋です。
社会の流れというのは時にとても極端になります。
クリエイティブであること、コミュニケーションが大事であること、グローバルな活動をしていくこと
これらは社会が勝手に求めていることです。
誰かの価値基準や評価基準で生きていく必要はありません。
あなたにとって価値のある事、幸せだと感じること
自分の幸せは何で、何が大事か見つめてみてほしいです。
それだけでいいんです。
次の記事は、僕が好きなライターさんが書いたものですが
数年前に読んで心に響いたので、ここに載せます。(2023年追記)
https://www.onecareer.jp/articles/2206
「紆余曲折した華々しいキャリアが、全ての人にとっての幸せだとは限らない。勇気の出し方も決断のあり方も人それぞれだし、それに良いも悪いもない。」
「ほどよく生きることを選ぶのだって良いし、本当に「好きを仕事に」を全力で追いかけても良い。どちらにせよ、自分で選びきることで見えるものがある、と今なら思う。」
https://www.onecareer.jp/articles/2206
本当にそう思います。
それぞれの生き方、選択に誇りをもって自慢するくらいでいい。
けど、それを押し付けない。
「ねえ、すごいでしょ!キラキラ」
ってまるで子どもみたいに面白いものを見つけて親に自慢するかのように。
人が仕事に求めている14の労働価値|リージョナルキャリア (regional.co.jp)
これは人の労働に求める価値を14つにまとめたものです。
いろんな価値観があって、どれがよくてどれが悪いってこともない。
ただ、それを尊重し合えることが大事だと思うんです。
評価したり、褒めたりするとき
とツイートしました
一人一人の頑張りや成果をこのままの形で評価してあげたり感謝してあげたりできないものかな
ずっと考えてきました。
そして、いくつか参考になるものがありましたので紹介したいと思います。
「褒める」ではなく「感謝する」
ベストセラーとなったアドラー心理学をもとにした「嫌われる勇気」という本です。
この「嫌われる勇気」という本の中で
「褒める」ということは基本的に上の立場の人が下の立場の人に対して行われるものであり、無意識のうちに上下関係が築かれるとし、褒めないほうがいいとしています。
その代わりに、「ありがとう」と感謝をするといいと話しています。
「ありがとう」という感謝という行為には「すごい」という褒める行為のような上下関係ではなく対等な関係で成り立つものだと言っています。
これは個人的な意見ですが、「ありがとう」などの感謝と同様に「よかったね」や「おめでとう」のような祝福も「すごい」に代わる言葉のように思います。
そのプロジェクトの恩恵を受けたのであれば「ありがとう」でいいし
恩恵を受けていなくて、ただ届けたい人に届いていたら「おめでとう」「よかったね」でいいはずです。
その人や社会にとって「すごい」か「すごくないか」はどうでもいいはずです。
「すごい」を言わない、ありのままを伝える
Twitterで次のような記事を見かけました。
これは小竹めぐみさんと小笠原舞さんの「いい親よりも大切なこと」という本を読んで@ゴボ天さんが漫画にしたものを取り上げた記事です。
まだ、この本を僕は読めていないのですが、@ゴボ天さんの漫画では次のようなことが書かれています。
本には「すごい」「えらい」「うまい」に頼らない褒め方について書いてあった。
自分の評価で褒めるのではなくて「目の前の事実」を言葉にするだけでよい。
お絵描きが上手にできた時「すごい!うまい!」ではなく「大きい雲がかけたね!」とありのままを伝える。
「すごい!」は言わないほうがいい?子どもの褒め方のコツはこれだ | 笑うメディア クレイジー (curazy.com)
僕も実践していますが
「すごい」を使わないようにするのは本当に難しいです。
つい癖のように「すごい」と言ってしまいそうになります。
この記事を書きながらも「この本はすごいです」と書いてしまいそうになるくらいです笑
そして、これまでいかに「すごい」という言葉に頼ってきたのか、目の前の事実をそのままの形で見たり聞いたりできていなかったかを思い知らされました。
そのままを受け止める
最近次のような本を読みました。
この中で、筆者の末永幸歩さんが2歳のころ絵を描いて母親に見せた時のエピソードを引用して次のようなことが書かれています。
女の子「みて」
お母さん「なに描いたの~?」
女の子「……」
お母さん「虹?」
女の子「……」
お母さん「う~ん、なんだろう?」
女の子「……」
お母さん「(茶色い部分を指差して)コロッケ?」
女の子「……」
女の子は自分から「みて」と笑顔で声を掛けたにもかかわらず、お母さんからの問いかけに対しては、中途半端な表情を浮かべて首をかしげるばかり。…中略
幼かった私がこの作品にみていたのは「虹」「コロッケ」といった、絵の向こう側にある「イメージ」ではなく、自分の身体の動きによって紙の上に刻まれていく「行動の軌跡」だったのではないでしょうか。
13歳からのアート思考
はっとさせられました。
先ほどの『いい親よりっも大切なこと』では「描いたもの」に対して伝えていますが
このアート思考では「描いた」という行動の事実に対して伝えています。
描いたものがなんであってもいいんです。
何かを描いている必要もないんです。
結果よりも過程を伝える、、、ということに近いのでしょうか?
その過程も「褒める」のではなく、ありままを「伝える」「認める」というのでしょうか。
難しいですね。
まとめ
とりあえず、ここ最近もやもやしてきたものを文章にしてみました。
思ったよりも時間がかかってしまったのですが、とりあえずです。
何も解決できてません笑
これから、また少しずつ加筆・修正をしながら
自分の中のもやもやと向き合っていきたいと思います。